生きているとはとても言えない。

You made a mess For Christ sake,

this rotten world Shit out of luck Go with my vision Light up the fire Right on the power Weapon I have it all

 

(あんたは下手を打っちまったんだよ
キリスト様の後光差す、この腐った世界でさ
運の無い野郎だ
私の側で見てな
燃える炎が照らし出す
真実は力と

武器...それが全てだ)

 

以上は「Red fraction」という歌詞の

一部引用である。

痺れますね。たまりませんね。

(「BLACK LAGOON」というアニメの主題歌です。

どちらも最高なので是非)

 

さて、なんでこの歌詞が出てきたかと言うと、

私がずっと、似たようなことを思い、

生きてきたから、である。

 

真実は力と武器‥‥それがすべて。

人生は殺し合いなので、

それに抗えなくなったら、

闘う力を喪失してしまったなら、

野垂れ死にするしかない。

ずっとそう思って、

ギリギリの状態で、ここまで走ってきた。

内臓も精神もボロボロだが、

走るのを止めたら、そこでお終いだ。

 

私は子供の頃から拒食症を患い、

ここ数年は複雑性PTSDと、

それにともなう不安神経症をかかえていた。

いつ爆発するかわからない、

いつ倒れるか分からない状態で、

それでもその事に負けてしまったら、

働けなくなったら、

何処にも居場所がなくなる。

私にはこうする以外に方法がなかった。

 

途中、精神科にかかったこともある。

もう3、4年前の話だ。

体重がどんどん減る。

眠ることが出来ない。

今ほどの頻度ではないが、

多重露光のようにして現実の景色の上へ、

当時の出来ごとが、映画のように再現される。

いまもまだ終らず、

現在人口で目の前に起きているかのように。

 

そのときは主治医に、

「今すぐに診断書を出すから、

せめて1ヶ月、休んで欲しい」と言われた。

そうしたいのは山々だった。

喉から手が出るほど、その休息が欲しかった。

 

しかし、職場は慢性的な人不足で、

1ヶ月前から休みを申請しても、

代わりの誰かに休日出勤を頼まないと

休むことが出来なかった。

法律が変わる前は

「有休を取られると困る」という理由で、

半ば強制的に買い上げとなっていたくらいだ。

 

1ヶ月も休んだら職場がどうなるか分からない。

どういう経緯で休職することになったのか、

理由を聞かれても答えられない。

(主な理由が性犯罪に巻き込まれたことだったから言いたくなかった)

 

わたしはそれを拒否するしか無かった。

あのときに休めていたら

もう少し違っていたのかなと思う事もあるが、

最終的にその判断を下したのは、

決めたのは自分だ。

 

職場が悪い、と言えたらどんなに楽だろう、

しかしそれは自分の決断から逃げることでしかないので、やらない。

意味が無い。

なのでこれは、「ブラックな職場にいたせいです」という話ではない。

実際、少人数向きで辛うじてまわしている状態だったし、

お店の運営を考えたら、

経営者としてそうせざるをえないという

社長の判断はけして間違ってはいなかっただろう。

それになにより、社長とその奥さん、

他の従業員の人たちには

約1名を除いてその人柄に

はそれを補ってあまりある良さがあって、

だからこそ、5年以上働くことができていたのだから。

 

ただ、わたしはただの従業員だ。

経営者と従業員の、

どうがんばっても埋められない溝、

立場が違うからこその価値観の違い、

それゆえのすれ違いがあったことも否めない。

 

それは直接の原因ではないけれど、

あれこれがあって、私は仕事に行けなくなった。

 

戦う力がなくなった。

身動きが取れない。

誰にも本当のことを打ち明けられない、

信用出来ない。

もしもの可能性で、

社長とふたりきりでお酒でも飲んだら、

抱えている悩みや秘密をうちあけて、

打開策が得られたのかもしれない。

"IF"の話にはなんの意味も価値もないが、

ときどき、そんなことを考えてしまう。

 

こんな弱者には、生き残る場所なんてない。

心はズタボロでまともに機能してなくて、

ただ心臓が動いている、体が生きているから、

なんでもないフリを装って

生きている演技を続けてきたに過ぎない。

こんな私は、とっくのとうに、

生きているなんて、言えない。

 

お酒と薬でぼんやりとする頭で、

あともう少しで死ねるな、

やっとだ、と思った。

それだけで、心がとても落ち着いた。

 

次に生まれ変わったら、

その時はもっと強い心を育てられますように、

丈夫な体でありますように。

 

目を閉じた。

意識がするりと、暗い穴に吸い込まれていく、

そんな風に、私は眠った。

 

 

 

 

しずんで、沈んで、静む。

外が暗くなったら、

アルコール9%の缶チューハイを呑む。

体が強くないから、

何度も吐き戻しかけながら、

30分から1時間をかけて呑む。

 

美味しくはない。

気持ち悪い。

 

でも仕方ない、眠るのに必要だから飲む。

飲み終わったら眠り薬を飲んで、

効き始めるまでの時間稼ぎにタバコを1本吸う。

 

缶チューハイで、意識はとろんとしてくる。

頭が働かなくなって、

なんにも考えなくて済むこの時間が、

一日のなかで1番楽で穏やかだ。

お酒との相乗効果で薬もすぐに効き始めて、

意識が沈んで、真っ暗になって、

頭の中がやっと静かになる。

そうして眠っている間だけ、

私は許される気がする。

 

何年か前(本当は何年の何月何日かまでおぼえているけど、言わないでおこう)、

わたしは目の前でとある犯罪を見た。

罪状で言うと、強制わいせつ罪。

被害者からは警察に訴えるから、

証人になってほしいと言われた。

でも、断った。

加害者の家族が、私にとっての

「命の恩人」だったからだ。

加害者がどうなっても

自分のした事だ、自業自得だけれど、

その家族が「犯罪者の家族」になることは

耐えられなかった。

 

強制わいせつ罪には執行猶予付きがない。

数年、あるいは数十年を、

刑務所の中で過ごす事になる。

そうなったら家族は収入を断たれ、

困窮することになる。

何より、恩人たちの大好きな「お父さん」を、奪うことは、出来なかった。

 

被害者の家族は怒り心頭で、

何度か加害者と話をしたらしい。

警察にも何度も訴えたのだろう。

1年経ってから被害届が受理され、

私は重要参考人として警察に赴いた。

加害者がどうなるか、

すべて私の証言で決まることになるような感じだった。

幸か不幸か、1年も経つと記憶も曖昧で、

大体の事柄については「覚えていません」と答えるしか無かった。

結果、加害者は不起訴になった。

 

とりあえず良かった、

と胸をなでおろしたけれど‥‥‥‥でも、

本当はどうしたら良かったのか、

いまもわからない。

「助けて」と手を伸ばした女の子を、

私は見捨てたのだ。

それからまたしばらく経って、

今度は別の女の子がまた被害にあったと聞いた。

その件については警察への相談のみで終わったらしい。

 

私が一番最初に加害者をかばったから、

だから、また一人の女の子を傷つけてしまった。

助けてあげられなかった。

 

後、私は泥酔した男と女にレイプされることになる。

私も彼らほどではなかったが酔っていて、

動けなかった。

2人とも仲のいい友人であったから、

強く拒めなかった。

 

あの、体の中に異物が入ってくる違和感、

恋人でもないのに全員が裸である違和感、

‥‥‥‥2人とも、既婚者だった。年上だった。

酔っていて覚えてないんだ、

ごめんね、で、話は終わった。

彼らにとってはその程度の事柄でおしまいなのだ。

 

ひとりになってから泣いたけど、

私は怒ることが出来なかった。

いつもの通り仕事に行った。

 

2人の配偶者もまた仲良くしている人で、

私が動いたら、その人たちを傷つける。

さらに不幸な人を増やしてしまう。

何より、当然の報いだとも、思った。

そんな私が被害者になる権利なんて、ない。

 

ただ淡々とすごしたけれど、

頭の片隅にはいつもこのことがあって、

何かいいことがあっても、

私が見捨てた女の子たちが

「私を見捨てたくせに」って、囁いた。

その度、あぁ、幸せになんてなってはいけない。

恋人を作ったり、

結婚して幸せになる権利なんてないって思った。

 

それでもわたしは後悔してないのだ。

こうして、「命の恩人」たちを守れたのなら、

恩を返せたのならそれでいいと、

思ってしまうのだ。

 

何気ない日常のなか、いつも、

多重露光のようにして

私が見捨てたときの景色が、

レイプされた時の景色が、見える。

 

だから、お酒と薬を飲んで、強制的に意識を止めて、眠る。

もう二度と目覚めませんように。

眠りの底に沈んでいられますようにと、ねがいながら。

 

夏は腐肉の匂いがする

子供の頃から死ぬことばかり考えていたので、夏は「死」のイメージが強い。

夏至をすぎてから、

季節はゆっくりと死に向かって行って、

晩秋の風に死体は風葬され、

冬は凍てつく寒さでその死をすすぐ。

 

夏はあらゆる存在の死が腐乱してく、

それを誤魔化すために太陽はぎらぎら眩しく、花が咲いて緑が濃く香るんじゃないかって。

 

‥‥‥みたいなことを考えるにはセミがうるさすぎる八月某日。

私は死にかけていた。

 

10日ばかり食べものを摂取していない。

水分もほとんどとっていない。

外気温が38℃などと正気の沙汰でない数字をたたき出している真昼。

クーラーもつけず、ベッドに横たわっていた。

 

汗がベタベタして気持ち悪いのでタオルを敷いて、

しかし眠ることもできずにただぼんやりと、

私は暑さに茹で上がるのを緩慢に待っていた。

 

本当はさっさと首を吊ればよかったのだが、

そうすると今借りている部屋が事故物件になってしまう。

となると大家さんから損害賠償を請求される可能性もあるので、

うっかり熱中症につき死んじゃいました☆‥‥‥という体にしたかったのだ。

その場合でももちろん事故物件にはなってしまうのだが、

自殺と病死、あるいは突然死ではイメージが違う。

我ながら呑気だしそれどころじゃないのだが、親ももう高齢なので、

そういう裁判とかに巻込むのは気が引けた。

(自分が死ぬことには、なんとも思わないのだけれど)

 

そう、私は私が死ぬことに、あんまり躊躇がない。

痛いのとか苦しいの、

怖いのはもちろん嫌だが、

そうでないならとっとと死んだ方がいいと思っている。

独身、彼氏無し(そして作る気なし)、

子供なし、仕事なし、貯金も大してなし。

こんなスペックで長生きするのは、

あまりにもこの社会は不利すぎる。

コロナウイルス、社会経済、政策、

どれをとっても不安要素しかない。

ならばまだ今死ねば、

自分の火葬代くらいは貯金があるから、

その方がいいだろうと思うのだ。

 

粘つく夏の気配は部屋の中で澱んで、

死に急ぐようしてセミが鳴き叫んでいる。

意識が混濁してくれればいいのだが、

どうも上手くいかない。

正直しんどいが、

生きるのも同じようにしんどいから、

まあ仕方ないだろう。

 

夏の一日は長い。

ベッドの上でじりじりしながら、

私は夜が来るのを待つ。

夜になれば、お酒と薬を飲んで、

眠ることが出来る。

意識を閉じることが出来る。

その間だけが、私の幸福で安らかな時間だった。

 

 

It's mad, bat, beautiful my world.

ある日突然、仕事に行けなくなった。

‥‥‥‥のが6月の半ばのことで、

それから私はほとんどの人に会えなくなり

連絡を取れなくなり、親とも半ば縁を切り、

自殺未遂を繰り返しながら、ふわふわと生き延びてしまった。

 

我ながらこう、生き汚い‥‥‥‥。

私は悲しい‥‥‥‥。

 

そんな36歳独身の、リハビリブログです。

 

タイトルは好きなバンドの曲の歌詞をお借りしました。

いつか心からこの言葉を言える日が来たらいいなという、ある意味の願掛けです。