食生活

食事が苦手だ、というより、嫌悪している。

食べるのは苦しい。

物理的にお腹いっぱいになるのも、

これで明日、何キロ増えているんだろうと不安になるのも。

 

しかし食べないわけにはいかないので、

毎朝ごはんを一膳と卵を2つ使った卵焼きをたべて、病院のお薬を飲む。

夕方前に親代わりみたいな人の所でお昼兼夕飯をご馳走になる。

そんなルーティンで、わたしはどうにか40キロ台を維持している。

 

食後、タバコを吸いながら、いつも思う。

このタバコ1本で20キロカロリーくらい摂取できればいいのにな、と。

1日1箱吸えば400キロカロリーになる。

これでは足りないけど、

あとはコーヒー牛乳を飲めばいい。

 

コーヒー牛乳はすきだ。

甘いけど気持ち悪くならないし、

なんだかあまり罪悪感も感じないで済む。

 

父方の祖母から「コーヒー牛乳飲む?」と言われて、よくわからないけど「うん」、と言った。

そうして飲んだ初めてのコーヒー牛乳は、とても美味しかった。

だからかもしれない。

診断

2020年某日、診断書を出してもらった。

かつて摂食障害で病院にかかっていたので、

今回もそのような診断が出るものと思っていた。

 

が。

 

出た診断は、解離性障害だった。

 

わかりやすくいうと、多重人格である。

私の場合は他人格が主人格と結びついているので記憶がなくなったりはしないが‥‥‥‥しかし言われてみればたしかに該当する事柄がある。

 

私には20歳を超えるまでの記憶がほとんどない。

また、記憶が無い間に親しい友人の家に身を寄せていたこともある。

(身を寄せた記憶はあるが日数や動機は全く覚えていない)

 

解離性健忘、解離性遁走を、わたしはこれまでに経験しているのかもしれない。

この病の発因は複雑性PTSDによるものであるということだった。

 

ははぁ。

心当たりがありすぎる‥‥‥‥。

 

そんな訳で、今はそれらの緩和治療に努めている。

薬と、認知療法等をお医者さんに駆使してもらって、なんとか元の自分に戻れるように頑張っている。

 

薬がよく効いてくれているのか、

最低限の家事は出来るようになった。

食事もとれるようになった。

調子のいい時は散歩に出れるようにもなった。

まだ字を読むのは上手く出来ないけれど、

もう少ししたら出来るようになるのではないかという期待は持てる状況まで持ち直した。

 

正直、信じられない。

死ぬことしか考えられなかったのに、

死ぬ未来しか信じてなかったのに、

私は今、未来を生きる前提で物事を進めている。

これは多分、生まれて初めての感情だと思う。

まだ戸惑うことも多いし、

特定の人以外とはコミュニケーションが取れないけれど、

いつかはまた元気になろうという気持ちになれている。

 

とても不思議な気持ちだ。

ただここまで持ち治せるように尽力してくれた友人たちには心から感謝しているし、

そのためにも早く元気になりたいと思っている。

 

とりあえず後もう少しでお米が炊けるので、

頂き物のマグロのすきみで遅い昼食としたい。

 

お腹減ったなぁ。(って、言えるようになったのもわたしにとってはすごい進歩で、不思議な感覚がする。)

悲しいこと

あんなに好きだった本が読めない。

数頁、あるいは数行読んだだけで疲れてしまう。

 

かつては出来ていたこと、当たり前だったことができなくなっていることに絶望する。

もう取り戻せないんじゃないかと思うと、暗澹たる気持ちになる。

 

また元の生活に戻れるんだろうか‥‥‥‥不安で仕方ない。

苦しいが、ただひたすらに、一日、いちにちを無碍にでも、乗り越えてゆくしかないのだとも、思う。

anger

何もかも全てを反故にしたい気持ちになっている。

絶望と言うには生ぬるいが、近しい状況だ。

 

ずっと眠っていたい。

死んでしまえたら、永遠に眠っていられるのになあと思う。

 

お正月を迎えたら、誰にも会わない日が続くので、有名俳優たちのように、ふ、と、死んでしまえやしないだろうか。

 

私が死んだら悲しむ人がいる、わかってる、

でももう、この状況に抗えない、戦えない。

どうしたらいいのかさえ、自分がどうしたらいいのか、何を欲しているのかさえわからない。

 

沢山助けて貰ったのに、

それ以上に使い潰されて、ボロ雑巾みたいになったからもう要らないって言われてるみたいだ。

苦しい。

深い夜に飲み込まれていく

ずいぶん、久しぶりの更新となってしまった。

ここ数ヶ月は薬がよく効いてくれたお陰で調子が良くて、

小説を書いたり、人と会う頻度をすこし増やしたりしていた。

そうやって、少しづつ社会復帰に向けて頑張ってみていた。

 

でもまた、暗いところに引きずり込まれそうで、

ヤケになってお酒と薬をいっぺんに飲んでみたり、

布団から出られなくなったり、食欲も減退してきている。

 

私の病気によると、

こうやって調子のいい時と悪い時を繰り返すものらしいので、

今がその時なのだろう。

眠り薬もあまり効いてくれなくて、タバコの量ばかりがやたらと増えるけれど、

なんとかして踏ん張ることが出来たらいいなと思っている。

 

余談ではあるが、

気を紛らわせるために漫画を読んでみたのだけど、数頁で耐えられなくてやめてしまった。

あんなに好きで夢中になって読んでいた漫画だったのに。

好きだったことが出来なくなる、これが一番、悲しい。

命にきらわれていたとしても

「命に嫌われている。」という曲を、最近、よく聴いている。

なんというか、自分の気持ちを代弁されているような気持ちになる。

まだ、「生きろ」とは、自分に対してうまく思うことは出来ないのだけれど。

 

さて、本当は死んでいるはずだったのだが、

なんやかんやで生き残った。

(様々な人の尽力と心遣いのおかげなのですが、

それはまだいつかのときに)

その後、友人がわざわざ仕事の調整をつけてまでして病院へ引率してくれ、

お蔭さまで少しずつ、

まともな状態に戻ってきている。

 

まず自分で自分の食事を用意出来る。

食べられる。

何か食べたいと思うことが出来る。

お風呂に入れる。

洗濯が出来る。

掃除とごみ捨てが出来る。

好きだった音楽が聴ける。

本はまだ、疲れてしまって

あまり読めないのだけれど。

でも今、こうして言葉を綴れるようになった。

それが一番嬉しい。

 

きっと健康な人にとっては

全部が当たり前すぎて、

理解して貰えないかもしれない。

しかし4ヶ月、ベッドから身動きが取れなかったことを思い返すと、自分で自分に感嘆してしまうのだ。

(世間ではこのような状態を「セルフネグレクト」と呼ぶこともあるようです)

 

今自分が生きてるのが嘘みたいだ。

好きなバンドのYouTubeを見れたことが夢みたいだ。

あの人に会いたい、連絡取りたいなあなんて、

思えるようになるなんて想像できなかった。

死ぬか、

死にぞこなったら生活保護になって、

家からほとんど出ないで、ひっそりと死のうと決めていたのだから。

 

またいつ、揺り戻しで元に戻ってしまうか

分からないけど、今は今のうちに、

できる事をやりたいと思っている。

 

それだけのことだけど、

私は今、久しぶりに幸福だと、

自分で自分を思えている。

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久しぶりの人から、連絡が来た。

 

数ヶ月前にLINEを貰ったまま、既読さえつけられなかった人だった。

 

ずっと怖くて触れることも出来なかったけれど、

既読をつけて、返事が返せた。

安心した。

返事をくれてありがとうと、また返事が来た。

 

些細なことではある、けれど。

ほんの少しは、良くなっているんだろうか。