夏は腐肉の匂いがする
子供の頃から死ぬことばかり考えていたので、夏は「死」のイメージが強い。
夏至をすぎてから、
季節はゆっくりと死に向かって行って、
晩秋の風に死体は風葬され、
冬は凍てつく寒さでその死をすすぐ。
夏はあらゆる存在の死が腐乱してく、
それを誤魔化すために太陽はぎらぎら眩しく、花が咲いて緑が濃く香るんじゃないかって。
‥‥‥みたいなことを考えるにはセミがうるさすぎる八月某日。
私は死にかけていた。
10日ばかり食べものを摂取していない。
水分もほとんどとっていない。
外気温が38℃などと正気の沙汰でない数字をたたき出している真昼。
クーラーもつけず、ベッドに横たわっていた。
汗がベタベタして気持ち悪いのでタオルを敷いて、
しかし眠ることもできずにただぼんやりと、
私は暑さに茹で上がるのを緩慢に待っていた。
本当はさっさと首を吊ればよかったのだが、
そうすると今借りている部屋が事故物件になってしまう。
となると大家さんから損害賠償を請求される可能性もあるので、
うっかり熱中症につき死んじゃいました☆‥‥‥という体にしたかったのだ。
その場合でももちろん事故物件にはなってしまうのだが、
自殺と病死、あるいは突然死ではイメージが違う。
我ながら呑気だしそれどころじゃないのだが、親ももう高齢なので、
そういう裁判とかに巻込むのは気が引けた。
(自分が死ぬことには、なんとも思わないのだけれど)
そう、私は私が死ぬことに、あんまり躊躇がない。
痛いのとか苦しいの、
怖いのはもちろん嫌だが、
そうでないならとっとと死んだ方がいいと思っている。
独身、彼氏無し(そして作る気なし)、
子供なし、仕事なし、貯金も大してなし。
こんなスペックで長生きするのは、
あまりにもこの社会は不利すぎる。
コロナウイルス、社会経済、政策、
どれをとっても不安要素しかない。
ならばまだ今死ねば、
自分の火葬代くらいは貯金があるから、
その方がいいだろうと思うのだ。
粘つく夏の気配は部屋の中で澱んで、
死に急ぐようしてセミが鳴き叫んでいる。
意識が混濁してくれればいいのだが、
どうも上手くいかない。
正直しんどいが、
生きるのも同じようにしんどいから、
まあ仕方ないだろう。
夏の一日は長い。
ベッドの上でじりじりしながら、
私は夜が来るのを待つ。
夜になれば、お酒と薬を飲んで、
眠ることが出来る。
意識を閉じることが出来る。
その間だけが、私の幸福で安らかな時間だった。