命にきらわれていたとしても

「命に嫌われている。」という曲を、最近、よく聴いている。

なんというか、自分の気持ちを代弁されているような気持ちになる。

まだ、「生きろ」とは、自分に対してうまく思うことは出来ないのだけれど。

 

さて、本当は死んでいるはずだったのだが、

なんやかんやで生き残った。

(様々な人の尽力と心遣いのおかげなのですが、

それはまだいつかのときに)

その後、友人がわざわざ仕事の調整をつけてまでして病院へ引率してくれ、

お蔭さまで少しずつ、

まともな状態に戻ってきている。

 

まず自分で自分の食事を用意出来る。

食べられる。

何か食べたいと思うことが出来る。

お風呂に入れる。

洗濯が出来る。

掃除とごみ捨てが出来る。

好きだった音楽が聴ける。

本はまだ、疲れてしまって

あまり読めないのだけれど。

でも今、こうして言葉を綴れるようになった。

それが一番嬉しい。

 

きっと健康な人にとっては

全部が当たり前すぎて、

理解して貰えないかもしれない。

しかし4ヶ月、ベッドから身動きが取れなかったことを思い返すと、自分で自分に感嘆してしまうのだ。

(世間ではこのような状態を「セルフネグレクト」と呼ぶこともあるようです)

 

今自分が生きてるのが嘘みたいだ。

好きなバンドのYouTubeを見れたことが夢みたいだ。

あの人に会いたい、連絡取りたいなあなんて、

思えるようになるなんて想像できなかった。

死ぬか、

死にぞこなったら生活保護になって、

家からほとんど出ないで、ひっそりと死のうと決めていたのだから。

 

またいつ、揺り戻しで元に戻ってしまうか

分からないけど、今は今のうちに、

できる事をやりたいと思っている。

 

それだけのことだけど、

私は今、久しぶりに幸福だと、

自分で自分を思えている。